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| 流鏑馬とは |
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流鏑馬とは、疾走する馬上から的に鏑矢(からぶや)を射る、弓術の稽古・儀式の事を言い、馬上における弓術の1つとして鎌倉時代には武士の間で盛んに稽古されたが室町時代、安土桃山時代と時を経るに連れて廃れてしまいました。
江戸時代に徳川吉宗により再興され現在に至っています。
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「語源についてはあまり古き説も聞き及ばず、流鏑馬はやぶさめと読む。鏑を流すとは、馬上にて鏑矢を射流すこと也」とあり、流鏑馬は(やぶさめ)、あるいは(やぼさめ)と読み、また「矢伏射馬」とも書かれます。
「貞丈雅記」に「やぶせむまの略語なり」とあるように、馬を走らせながら鏑矢を射る事を言います。
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流鏑馬の起源は、第29代欽明天皇の御代、国の内外が乱れたのでこれを平定するに先立ち、天皇は豊前国字乱佐の地に神功皇后、応神天皇の二柱を祀られ、神前において天下不定、五穀豊穣を祈られ馬上により三個の的を射られたのが矢馳馬と云い後流鏑馬になったと言われています。
射ての服装は立烏帽子(たてえぼし)、綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、鎧直垂に射小手を着け、行騰・太刀を履き、箙を負い弓矢を持ちます。この服装はあげ装束とも言われ、鎌倉時代の武士の狩り装束でありました。
約250メートルの馬場を馬を駆けさせながら、3つの的を射る勇壮な行事です。
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