安芸の宮島 厳島神社
厳島神社の舞楽は、平 清盛が久安二年(1146)安芸の守時代に平家の守護神として厳島神社を信仰して視野でンを改築し、京都文化の一つである舞楽を、大阪の四天王寺から厳島に移して楽所を作ったのが最初であります。(舞楽とは、聖徳太子の時代に中国・インドなどから伝わってきた音楽と舞)後世、大内家や毛利家、浅野家の保護を受けて戦乱の世にも絶えることなく伝承されて現在に至っています。
蘭陵王


略して単に「陵王」とも言い、一人で舞う左方の走舞(わしりまい)として大変有名です。 古来この舞いにまつわる伝説として、次のような話が伝えられています。古代中国の南北朝時代、斉の国に蘭陵王長恭という武勇才智に長けた王がいました。

ところがこの王は顔形が美しく優しく、戦場で威令が及ばないため、一計を案して、いかめしい龍の仮面をかぶって周の軍と金煽城で戦ったところ大勝を博しました。

その勇ましい姿を舞曲にしたものであるというものです。 
右手に金色の桴(ばち)を持ち、曲の最後に大きく前方を指す手があるが、これは三軍叱責の姿であるといわれています。

  この説話でいえば、曲舞ともに中国伝来のものということになりますが、面や舞振りがタイ・ミャンマーの仮面に酷似している点、また曲の旋律がきわめて南方的な色が濃いことなどから、やはりインドシナ方面より伝承されたものと考える方が妥当でしょう。やはり林邑僧仏哲により伝えられた林邑八楽の一つであると考えられています


 舞人は竜頭を頭上にし、あごをひもで吊り下げ金色の面をつけ、緋房のついた金色の桴を持ち、朱の袍に雲竜を表わした裲襠装束をつけて勇壮に舞う、舞楽の中でも最も代表的なものの一つである。