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大國魂神社![]() |
京王線・府中駅を降りて5分ほど歩き、けやき並木と呼ばれる道を歩いていくと大國魂神社の参道に入ります。 祭の当日は沿道に多数の人達で溢れ、様々な神事や、行事が行われます。参道には夜店が並び、大勢の人達で賑わっています。 くらやみ祭は4月30日から始まりますが、私たちが目にするのは5月3日くらいからで、まさにゴールデンウィークまっさかり。特に5月5日は子供の日で家族連れが目立ちます。 |
| その名の由来 大國魂神社の5月5日の例大祭は一般に「くらやみ祭り」と親しまれています。 かつては神輿の渡御が深夜、町の明かりをすべて消した暗闇の中で行われた為に生まれた名称です。そもそも「神様を見ると目がつぶれる」といわれるように、尊貴なものをまじかに見てはならないと言うのが日本古来からの風習でした。 そのため多くの神社の神事等の折その御神霊を遷す際には暗夜に行うのが慣例となっており、けっして珍しいことではありません。 国府祭 「くらやみ祭り」のそもそもの起源は古代の国府祭と言われます。 当時、国府では年に一度の国中の主な神職が集まり、国土を安穏(あんのん)と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈って行われました。 |
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| これが国府祭と言われるものです。こうした国をあげての祭祀も、国府が衰えると共にさびれてしまいましたが、こうしたいくつかの国府祭は形を変えて今にも残っています。 夜から昼へ 明治維新をむかえ、府中六所宮も大国魂神社と改称し新たなスタートをきりましたが、「くらやみ祭り」もその性格に大きな変化があらわれます。 それは祭が神社中心から氏子中心へ変わってきたからです。 |
| 江戸時代の六所宮は500石の社領と多くの神職を擁しており、祭礼も神輿役あるいは御駒役(おこまやく)と言った紳人と社領の領民が中心となり行っていました。 ところが明治以降は神社の経済的基盤であった社領がなくなった為、祭の主役である神輿等の維持管理は地元4ヶ町にゆだねられることになりました。 |
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これ以来「くらやみ祭り」は地元氏子の人々が中心となり、それに各地の講中が協力し、互いに競い合いますます盛大なものとなっていきました。 くらやみまつりは太平洋戦争のため昭和20年に1年だけ中断したものの、早くも翌年には復活し、徐々に昔日の賑わいを取り戻しましたが、昭和30年代にはいりますと、急激な地域社会の変貌にjともないさまざまな問題が発生、くらやみ祭りも従来のやり方に反省をよぎなくされました。 そして警察署の強い要望もあり、深夜、灯りを消した中での神輿の渡御は昭和34年で中止となり、以後、神輿は夕方の出発と言うことに改められました。 こうして伝統を持つ府中のくらやみ祭は昼間の祭へと移行したのです。 |
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日本一の御先払大太鼓 大國魂神社には8基の神輿のほかにこれらを先導する6張の大太鼓が登場します。 その中で一番お大きいのが、御先払大太鼓と呼ばれる太鼓で、くり抜き胴の太鼓としては日本一の大きさを誇っています。 |
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