鬼来迎
千葉県 横芝光町虫生 広済寺
P25号
縦803×横606
鬼来迎は鬼舞いとも呼ばれ、地獄を再現した劇で、仏教の因果応報の理法を説いた、大変珍しい仏教劇である。 この由来は、鎌倉時代の初期、後鳥羽院の時代にさかのぼる。 薩摩の国の禅僧石屋が、衆生済度のため諸国を遊行の途中、虫生の里に立ち寄り、この地の辻堂を仮寝の宿とした時、妙西女という十七歳の新霊が、地獄の鬼どもに責められる様を見た。 翌日、墓参りに来た妙西の父・椎名安芸守と、妻・顔世と言葉を交わすこととなったが、新霊は、この血の領主・安芸守の一人娘とわかった。請われるままに真夜中に見た、地獄絵差ながらの様子を話すと、安芸守は自分の悪業を悔い、娘の法名、妙西を広西と改め、彼女の菩堤を弔う為に、建久7年(1196年)仲夏、慈士山地蔵院広西寺を建立し、その開山となった。 ところが、その年の仲夏6日、虫生の里に突然雷雨が起こり、寺の庭に青・黒・赤・白の鬼面と、祖老母の面等が降ってきた。 不思議に思った石屋は、これを寺内にとどめておいた。 一方、当時鎌倉に移住していた運慶・湛慶・安阿弥の三人の彫刻氏がある時偶然に、石屋と安芸守夫婦が、亡き娘の卒塔婆をたて、それによって亡者が鬼の呵責からまぬがれて、菩薩に済度されたという情景を夢に見て感動し、はるばる虫生の里を訪ねて、石屋に逢った。 石屋は3人に、かつて辻堂で見た地獄の呵責の様子と、それを救われた菩薩の大悲のありさまを詳しく話し、その姿を来世に残して、大衆の教化をはかりたいとの意向をのべたので、3人は早速、閻魔大王、倶生神、祖老母、赤鬼、黒鬼の面像を彫刻し、出来上がった面をそれぞれ顔にあて、石屋もまた僧徒を集めて鬼に扮して、7月16日に演じて見せた。 そしてその後も、地獄の相・菩薩の威力を示す「鬼来迎」は、毎年7月16日に行われるようになったと言われている。(8月16日) 鬼来迎は地獄の責苦を骨子とした「大序」、「賽の河原」、「釜入れ」、「死出の山」の4段と、広西寺建立縁起を物語る和尚同行、墓参、和尚物語の3段からなっており、所要時間は焼く1時間30分。 <虫生鬼来迎保存会発行冊子より引用>
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