阿波踊りの起源
阿波踊りの起源については諸説ありありますが、有力なものとして3つの説があげられます。

@風流踊り説
 阿波踊りの特色である組踊りが、能の源流といわれる「風流」の影響を強く受けているといわれ、寛文3年(1663年)の「三好記」の中に天正6年(1578年)に勝瑞城(現、板野郡藍住町)で風流踊りを開催したという記録に基づいている。
A築城説
天正15年(1587年)に蜂須賀家政によって徳島城が落成した時に、その祝賀行事として城下の人たちが踊った
B盆踊り説
旧暦の7月に行われた盆踊りであるというもので、「俄(にわか)」「組踊り」といった特殊なものが派生したとはいえ、その元は盆踊りという。

歴史の上で最初に登場するのは、かの織田信長や豊臣秀吉の時代にあたります。阿波踊りは民衆のエネルギーが踊りの形として発展してきたものです。
この踊りは、お伊勢参りや風流が原型になったのではないかと言われています。
しかし、歴史をひも解いて行くにはあまりに史料がないのが現状です。よって、起源については諸説多数あり、これと決める決定的な証拠がありません。

「ええじゃないか」
慶応3年(1867)12月、「ええじゃないか」の乱舞が撫養に上陸し、翌4年にかけて阿波一円は「ええじゃないか」で浮き立つことになります。
衆が「ええじゃないか、ええじゃないか、何でもええじゃないか……」と囃しながら勢見の金刀比羅神社に練行し、そこから讃岐の金刀比羅宮や施行の船に乗り込んで伊勢神宮に向う人も多かったことを伝えています。

阿波では得意の阿波踊りで「ええじゃないか」を踊ったのはごく自然なことでありました。ただそれまでの阿波踊りは、人形浄瑠璃の太棹が鳴物の主力を占めていたといわれるように、若干テンポの緩やかな踊りであったのに対して、テンポの早い「ええじゃないか」の大流行を契機として、阿波踊りもテンポを速め、鳴物の主役も細棹に取り替えられていったというのも、かなり多くの人たちの主張であります。「ええじゃないか」と阿波踊り 阿波は、山城と並んで「ええじゃないか」の発祥の地の一つという説もあります。
踊り念仏・念仏踊りの時代
歴史的に見た阿波踊りの踊り民俗芸能としての起源は、研究者によると、やはり「踊り念仏」が存在するのではないかと考えらています。
中世の「踊り念仏」にさかのぼりうる 阿波周辺の時衆遺跡 三好と本願寺の関係 踊り念仏が娯楽性・芸能性を強めた「念仏踊」念仏踊りのうち特に盆の時期の踊られた「精霊踊」が、盆の時期に精霊や祖霊を迎えて踊るという現在の盆踊りの原型をつくったと考えられています。
近世末期になると、「ぞめき」が急速に発展。文化文政期に三味線の導入により今の阿波踊りの原型ができた時代と考えられています。
 
現在の阿波おどり
戦後の徳島市民にとって都市復興の象徴として機能したのが「阿波踊り」でした。
 急速な立ち上がりで昭和20〜23ころの戦後まもなく、きわめて早い段階にすでに「連」が形成されはじめ、阿波踊りが急速に復興・拡大していきました。戦争により荒廃した経済・産業・社会・まちを立ち直らせた精神的中核ともなったのが、まず「盆踊り」という民衆の「文化」から始まったことは、盆踊りや民俗文化の大きな歴史的役割を示唆して余りある出来事です。そして、現在なお「阿波踊り」という文化が、徳島にとって、また日本にとってはかりしれないほどの巨大な財産となって、活力を供給し続け、文化的発信をし続けていることを思い合わすべきであります。

阿波踊りは、両手を上げ三味線や太鼓、鉦など囃子のリズムに合わせ前進しながら踊ります。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」の唄のとおり、見てるよりも思わず踊りたくなる、とても愉快で楽しい踊りです。

さらに、初めての方でもレッスンを受け気軽に阿波踊りに参加できるという「にわか連」があります。その他にも、大スターマインが行われる納涼花火大会や、全国から100艇ものヨットが参加するヨットレースも行われていて、祭りを盛り上げています。