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| 馬を愛する気持ち チャグチャグ馬コには愛馬の無病息災を願う人々の祈りこめられています。 その昔、人々の素朴な愛馬精神から、馬の守り神である蒼前神社や馬頭観音、駒方神などへの信仰が生まれた。南部藩の領内は特に蒼前神社への信仰が盛んで、滝沢村鵜飼の蒼前(鬼越蒼前)、玉山村の芋田蒼前では代表的な神社でした。 いつのころからか、端午の節句に農耕に疲れた愛馬を癒す為にお参りする風習が生まれ、幕末には馬に小荷駄装束を着せて詣いる人が現れ、今日の祭の原型となりました。 かつては芋田神社でも、例大祭(旧暦6月17日)のときは着飾った馬を伴って参拝する人々でにぎわったと言います。 石川啄木は「渋民日記」に例大祭にあたる「お蒼前さま」のにぎわいを記しています。 残念ながらその後国道4号を通ることを禁止され、徐々に参拝する人がすくなくなってしまいました。 祭の当日、朝早くから蒼前神社には飾り立てられた馬コが家族とともに参拝。家族が両手を合わせ、人馬の無病息災、家内安全、五穀豊穣などを祈願する間、馬コも神妙な面持ちで頭を垂ています。 |
| 人も、馬コもこれから始まるパレードを前に気持ちを新たにしているかの様に見えます。 母馬に寄り添う子馬も見られます。子馬はこれから何が起こるかわからず不安げな表情。 境内では南部藩時代の伝統を受け継ぐ南部小絵馬が売られ、お土産に買い求める観光客の姿も見られます。 厳粛な祈りのときが終わり、いよいよ祭のハイライト、パレードに移るのです。 |
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のどかな田園風景をチャグチャグ馬コの行列が行く。慌しい現代社会の中で、行列を見ていると、どこかメルヘンの世界に紛れ込んだような感覚に包まれる不思議な気分になります。 農耕馬がほとんど姿を消した今日、100頭近い馬コを見られるだけでも感動しますが、馬に乗ってる稚児たちのほほえましい姿をみるとさらに心が癒されてしまいます。 |
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祭が行われる6月の季節、木々は緑の葉を深め、里では色とりどりの花が咲き誇る。 水田にはたっぷりと水が張られ、早苗が風に揺れる。空の青さと着飾った馬コのコントラストの美しさに思わず息をのみます。 岩手の自然が馬コの魅力を引き立てるのです。 石川啄木・宮沢賢治も見たチャグチャグ馬コ 上記にも述べたように石川啄木は「渋民日記」に例大祭にあたる「お蒼前さま」のにぎわいを記しています。 彼は明治19年(1886)2月20日、玉山村に生まれました。 若き日の啄木がその目で見た「お蒼前さま」こそ、今日のチャグチャグ馬コの原型でありました。 [明治39年8月6日「渋民日記」] 6日は陰暦6月17日で芋田にある村社駒方神社の祭典、所謂「お蒼前さま」であった。 夜の明けぬうちから近郷の若者が馬を駆って参詣する。 昔の戦絵にある様な、紫、朱、・・・様々の美しい飾りを着た馬が鈴の音、嘶ぎの音、勇ましく暁の村路を急ぐ様子は、さながら幾十年の歴史を逆上がりしたかのやうに感ぜられる。 乗手は、或はコサアク兵の様なりっぱな若者。或は12〜3の児の初乗、或は28〜9の少女である。若者は皆自分馬の立派なのや、乗方の熟練など誇りかに見せて行く。駄馬に乗った耻かしさ腹立たしさ、無暗に鞭を加へて人中を走せぬて行くのもある。・・・(以下省略) 大正6年(1917)5月盛岡高等農林学校3年生の宮沢賢治は下の橋の近くに下宿していました。 |
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夜明げには まだ間はあるのに 下のはし ちゃんがちゃがうまこ見さ出はたひと ほんのぴゃこ 夜明けがゞった雲のいろ ちゃんがちゃがうまこ橋渡て来る いしょけめに ちゃんがちゃがうまこはせでげば 夜明げの為が 泣くだぁぃよな気もす 下のはし ちゃんがちゃがうまこ見さ出はた みんなのながさ おどともまざり |
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| これは早起きをして、まだ明けやらぬうちから蒼前参りの道を急ぐこ馬コの早駈を見たときの情景をうたったものです。 |
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